自分の死から考えるこれからの生き方。
自分の死に際は1人がいい。
そして、骨は地元の海へ流してほしい。
人間であれば誰もが自分の死に関して考えたことがあると思います。
人間は必ず死ぬ。
そしてこの現実世界から自分自身がいなくなる。
僕はこの事実を小学生の時に知り、とてつもない虚無感に襲われたのを今でも覚えています。
僕はスピリチュアル的なことを信じれない人間のため、人は死ぬと何も残らず灰になる。当然ですが、それ以外はないと思っています。
ただ、それでは本当に虚しすぎる。
だからこそせめて自分が死んだ時には、母なる海へ骨を流してほしい。
これは完全な自分のわがままですが、生まれてこの方変わらない僕の願いです。
人間の価値観、考えなんてすぐに変わると思いますが、60歳くらいで自分の人生を閉じることができればいいかなと思っています。
ちなみに僕の家系の平均寿命は60歳です。
僕が3歳の時に叔父が他界し、13歳の時に叔母が他界。
そのため中学生の時から今まで、自分の寿命は60歳だ。と仮定して生きてきました。
現在は医療が発達し人間の寿命が少し伸びたと言われていますが、人間の致死率は100%、キリストがどう足掻こうが、必ず人間は三途の川をわたることになります。
僕は既に人生の折り返しに差し掛かっています。
生まれてから今まで本当に早かった。
さらにこの時間の経過の感覚が早まっていくと思うと、自分の死に方、死後をどうしようかとどうしても考えてしまうのです。
自分は60歳に人生を閉じる。
だから残りの半生をどう生きる。
自分の人生を無駄なことには使いたくない。
60歳までに自分の今抱いている目標を達成するためには、今何に時間を使うべきなのか。
今の自分はここに時間を取っている場合ではない。なぜなら今も死に向かって寿命が縮まっている。
自分の寿命から逆算をして自分の残りの人生の生き方を考える。
一見ネガティブな考えに思えますが、現実を直視しながら自分の人生を真剣に生きています。
自分はどのように死んで何歳まで生きたいのか。
と一度真剣に考えるのもいいかと思います。